ウルスパマジカルひろぴょんさんがコメントで書いてくれたんですが、「ムー」では樹木希林の「カネダじゃなくカネタです」というシーンが毎回ありましたね。樹木演じる「金田」は必ず「カネダ」と呼ばれちゃうんですが、「本当はカネタ」というお約束のギャグです。ボクも素直にそれを笑っていたんですが、いま考えると罪深いネタだなーとも感じます。
しばらく前の「怒り新党」で、「『さい藤』さんの『さい』の字に対する拘り」というマニフェストが紹介されました。「さい藤」さんは「斉藤」か「斎藤」が多いですが、他にも多くの「さい」があるんですよね。「さい藤」さんはその誤表記に拘るというネタだったんですが、それに対するマツコさんの判断は「自分の字に誇りがあるから」でした。でもそれって違うと思いますよ。多くの「さい藤」さんは字に誇りがある訳じゃなくて、単に間違いを訂正しているだけだと思いますよ。他人にとっては(どうでもいい事だから)「どの『さい』だっていーじゃん」と言うかもしれませんが、似ているだけで実は別の字なのですから、「それ違います」と言うのは当然ですよね。
ところが多くの日本人ときたら、「一般論」と「自分の都合」を絶対視する人が多いんですよね。前述の「ムー」のネタについてですが、「金田」といえば当然「カネダ」と読むのが普通であり、自分もそう思っていたから、「カネタです」と言われ(訂正され)ても「どっちでもいーじゃん」となってしまう。他人にとってはどうでもいい事かもしれないけど、同じ字でも「カネダ」と「カネタ」は別の名前なんだから、どうでもよくないですよね。自分の思い込みを優先したり、自分に不利益はないからどうでもいいなんて判断、(多くの)日本人の悪い性質ですね。
さて今回のテーマは「田万由子の巻」。その苗字も一般的な「タカダ」ではなく「タカタ」です。流石に有名人の彼女の場合は正しく認識している人が多いかもしれませんが、世の多くの「タカタ」さんは苦い思いをしている事が多いでしょうね。