人の記憶って適当ですね。今回はそんな話です。
いえね、前回「桂木文の巻」でデイビー藤本が逮捕により「週刊ポップマガジン」の司会をクビになった事を書きましたが、ボクはそれが原因で同番組が「週刊歌謡マガジン」と改題したと思い込んでいた事があります。今では時期的に合わないと気づいているのですが、では何故改題したのか、司会の変遷がどうだったかほとんど思い出せないんです。可愛かずみは継続出演し、後にPumpKinが司会を務めていた事は思い出せるのですが・・・。
気になったのでネットで検索してみたのですが、意外な情報に出会いました。「歌マガ」は轟二郎が司会をしていた事があり、放送していたのは夜中だったとか。思わず「嘘ぉーつけぇー」と口から出てしまいました。「Pマガ」「歌マガ」が放送されていたのは夕方だったし、轟二郎が司会だなんて初耳です。ボクは同番組をずっと観ていたんですが、全く覚えのない話です。その情報によれば'88年11月9日に「歌マガ」が放送され、PumpKinが「そよ風の騎士」を唄った(Vが流れた)との事。当時のボクは趣味的にアイドルポップスを録画保存していたのですが、記録データを調べたら同日の同曲が残されている事が判明。それは歌(のV)からEDトークにつながる珍しい展開だったんですが、そこに映っていた司会者は・・・・・轟二郎でした。エ――――ッ!!!。轟二郎が司会だった事が信じられなかったのに、まさか自分がそれを録画していたなんて!?。
かつての経験や記憶を忘れている事は誰にもある事ですが、言われれば「ああそうだった」と思い出すじゃないですか。それが「ンな訳ない!」と言いきっちゃったのに、実は録画までして見ていたなんて、痴呆気味もここまで来たか・・・。しかもPumpKinも一緒に司会をしていたんですが、その一人がチャオ(林千春)なのが意外でした。時期的にはチャオで当たり前なんですが、司会はまーたんとのバージョンが印象深かったもんでね。ちなみに森下恵理が可愛かずみと司会をしていた事も忘れていて、録画コレクションを見直して気づきました。流石にこちらは「ああそうだったな」とすぐに思い出しましたが、そんな事を忘れるなんて、やはり痴呆気味かな・・・。
[追記]「週刊ポップマガジン」が「週刊歌謡マガジン」と改題したのは'88年4月からですが、放送時間は変わっておらず、変更の理由は解りませんね。同年10月からは深夜に時間変更になり、また'90年10月からは早朝に移動しました。同年12月頃に番組終了したようです。