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Channel: KH1の最旧アイドル・パトロール(独りよがり歌謡エッセイ)
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伊藤美紀の巻('87)

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 松本伊代の旦那といえばヒロミ。7日(日)の「松本伊代の巻・その④」では「11年ひと昔」なんて話を書きましたが、その頃だったんじゃないですかねぇ、ヒロミが表舞台に出なくなったのは。伊代ちゃん一人で頑張っていたのかな。

 ヒロミといえばB21スペシャル。デビューは1986年らしいですが、世間に認知される活躍を始めたのは'90年代に入ってからではないでしょうか。ボクが初めてB21スペシャルを認識したのは「やる気マンマン日曜日」でしたが、まだ訳の解らない謎の3人組でしたね。

 当初の活動は「やる気マンマン体操」のバックダンス担当。その時点では芸を披露する訳でもなく、単に伸び悩みアイドルのバックで踊るだけというのが、連中の当時のポジションを表していますね。てっきり連中はホリプロの所属で、バーターで地味な仕事を与えられていたのかと思ったんですが、彼らは人力舎の所属だったらしいですね。番組自体もホリプロ制作だし、どういう経緯で人力舎のB21スペシャルが出ていたのかは全く分かりません。今のヒロミから考えると、そんなつまらなく安い仕事はおざなりにやりそうですが、意外にも当時のビデオでは楽しそうに踊っていますね。まあ数少ないレギュラーなんだから当然かもですが。

 その「やる気マンマン体操」を歌っていたのは伊藤美紀。言うまでもなく第11回ホリプロスカウトキャラバンのグランプリですが、デビュー曲は3万枚を超えるヒットをし、セカンドはさらに枚数を伸ばしましたが、サードからは尻すぼみになりました。6曲目の企画物「やる気マンマン体操」はわずか7000枚の売り上げ(Wiki情報)だったらしく、ラストシングルに至っては5000枚だったそうです。

 以前「ホリプロ新人4人組の巻」で伊藤美紀の横柄ぶりについて書きましたが、そんなセールスだったから余計に好調な同期に偉ぶりたかったのかな。尤も仁藤優子だって1~3曲こそ良かったものの、すぐに伸び悩みましたから、どっちも似たような存在なんですけどね。
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 これが最大ヒットのセカンド「哀愁ピュセル」。下にファミコンソフトの広告が出ていますが、「哀愁ピュセル」はそのCMソングだったようです。

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